大願成就の島 硫黄島熊野三山


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[75] 領域横断的な研究の可能性 Name:阿久津大夢 Date:2018/02/20(火) 08:04 [ 返信 ]
 俊寛・平康頼・藤原成経が硫黄島で、熊野三山をなるべく類似の地形で勧請したということや、三名が硫黄島の北の大谷(ウータン)というところに居住し、特に落胆した俊寛が休んだり、九州や京都を思慕したりしていた岩場の存在などが、『平家物語』の古態本に書かれているのは、先生の現地での実証的な研究で史実性の強い内容であることがわかった。古代日本人の日本という国の最果てにある硫黄島に流された三名の生活の様子などでさえも、ここまでの詳しく記述され、しかもそれが事実性の強いものだとすれば、平家物語は原初の成立段階では、必ずしも虚構や想像を前提にせず。一部は史実的な物語も『平家物語』にはあるのだということが窺えた。秘境の島での三名の生活を事実として書くことができる人間は当時であってもそれほど多くないだろう。つまり『平家物語』のこの章段の成立には、この三名に近しいあるいは、この三名の硫黄島での生活を見聞きした人物が関与していることが想像される。つまり、一つ一つの『平家物語』の史実性を実証することによっても、『平家物語』の作者圏や作品の成立過程が特定できるのではないか。それはもちろん簡単なことではないが、『平家物語』の史実性の確認が新たな研究の可能性になっていることを感じた。そのために研究者自身が、現地に出向き、いわゆる「本文の読み」的な研究以外にも、宗教学や地理学、歴史学などの知見をできる限り使って、調査することが求められることが再確認できた。
 現代人は科学を駆使して一年中どこでも同じ生産性で、生活を営むことができるようになった。しかし科学成立以前の人間の営みは、例えば地理的な条件や気候などに大きく左右されながら生きていたであろう。そうした生活のなかで古典文学も生まれている。古典文学の成立には、当時の人間の生活や思考が関わっているのは当然であるから、古典文学の理解には、領域横断的な研究によるそれらの理解は避けては通れない。現地調査や文学以外の研究知見を用いるのは、古典文学の本質的な理解には不可欠であろう。

[73] 番組を視聴して Name:寺本麻美 Date:2018/02/10(土) 23:20 [ 返信 ]
 今回番組を視聴していて最も印象的だったのは、実際に硫黄島へ調査に向かうVTRが含まれていたことでした。これまで様々な講義を受けてきましたが、文学研究をする中で実際に現地に赴き、そしてそこで調査し判明したことを研究に活かす、というのはなかなか聞かない話でしたので新鮮に感じました。文学研究というと、文書とにらめっこする学問、という印象が大変強かったのですが、今回の番組視聴でその固定概念が崩れると同時に、文学研究への関心、意欲が高まりました。
 ただ、今回のように実際に物語の舞台を訪れ調査する際には、その地域で大幅な地形の変化などが起きていないか確認しておくことも重要だと感じました。今回の薩摩硫黄島のように周囲が海に囲まれている場合(特に大谷と呼ばれる大きな岩が集まる場所など)は、波による浸食の影響も考えられるのではないかと思います。物語が書かれた当時、あるいは舞台となった時代においても同じような地形であったのか確認する作業も極めて重要なものだと思いました。
 もう一つ、番組を見ていて印象に残ったのは、最後の「真実や真理の側に領域はない」という言葉でした。これは授業のなかでも先生がおっしゃっていたことですが、今回の番組視聴を通してその言葉の重みをより強く感じることができました。
 今回番組の中で三つの謎を解き明かす際に、「三国名勝図会」など日本国内の書物についてはもちろんのこと、潮の流れや滝の種類についてなど様々な知識が用いられているのを見て、「領域がない」ことを実感しました。偉大な学者は自分の専門以外の知識も多く持ち合わせているものだ、とどこかで聞いたことがありますが、何かを探求するには幅広い知識と広い視野が必要不可欠なのだと再認識しました。私も「専門外だから」などと理由をつけずに、幅広い分野の知識に関心を持ち、触れていきたいと思います。

[74] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/02/16(金) 09:38
〉ただ、今回のように実際に物語の舞台を訪れ調査する際には、その地域で大幅な地形の変化などが起きていないか確認しておくことも重要だと感じました。今回の薩摩硫黄島のように周囲が海に囲まれている場合(特に大谷と呼ばれる大きな岩が集まる場所など)は、波による浸食の影響も考えられるのではないかと思います。物語が書かれた当時、あるいは舞台となった時代においても同じような地形であったのか確認する作業も極めて重要なものだと思いました。
→重要なご指摘です。地形が変化したことなど、古地図の残っていない離島では立証のしようがないように見えます。ところが、わたくしは次のような論証方法を採っております。硫黄島の大谷の地形で、@稲村岳から北に五十余町、A海に面している、B複数の巨石、C崖が海に迫っているの4点が、ここが3人の住まいだとする根拠なのですが、このうち地形が変化しそうなのはB、Cですね。ところがBについては、硫黄島の北側海岸線に巨石の林立する場所がほかにないこと(一地域の巨石だけがことごとく粉砕されて大谷だけに残存しているという変化は考えにくいこと)が明白であり、Cについても、地震などで起こりうる崩落を想定しても、それほど崖が海に迫っていたとみられる場所がほかにないことを確認しております。BCがそのような手続き付きの証拠であっても、@やAで前提的な絞り込みや補強がなされているので、BCだけを取り上げて、この説が「危うい」ということにはならないのです。それに、放送の中では触れていませんが、延慶本『平家』の中では、赦免船が硫黄島の北側にいったん着いて成経・康頼らと対面したあと、その船を硫黄島本港である南側に回したと読める表現もあるのです。硫黄島の北側で、船を仮にでも寄せられそうな場所は、大谷、坂元、小坂元の三か所しかなく、その三か所のうち大谷は延慶本『平家』の表現とことごとく符合する=偶然の一致とは考えにくい=という話なのです。

[71] 放送大学番組を観て Name:中村 葵 Date:2018/01/25(木) 11:30 [ 返信 ]
11/5の放送を見逃してしまっていたので今回お正月にじっくり見れてよかったです。
授業内容をカバーした内容で大変勉強になりました。
平家物語本文の記述からあんなに詳しく住んでいた場所を特定できることにまず驚きました。
場所がわかるように意図的に詳しくかかれていたのでしょうか?現代の感覚からいくと住んでいるところなど個人を特定できることはプライバシーの問題もあるからあんまり詳しく書かないと思うのでけっこう分かりやすく書かれていたことに驚きました。
地理的にそっくりなところを見つけて祀っていたこと、またそもそも地理的にそっくりなところが存在したことも不思議なこともあるものだなと思いました。
講義の最後に「様々な学問分野から考察できる」という趣旨のことをおっしゃっていたところに深く共感しました。
私もやりたい学びたいことがあり一見それにはあまり関係のない学科に入って「しまった」なと思っていた時期もありましたが、学科の中でそこと通じる講義があったり、学科の特性からやりたいことにアプローチすることも可能だと思って2年間やってきました。
これからも様々な側面から自分の興味あることにアプローチしていけるようになりたいなと思いました。

[72] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/02/05(月) 08:22
>場所がわかるように意図的に詳しくかかれていたのでしょうか?
→結果的に表現上に露呈していたのだと思います。ストレートに住所が記述されているわけではなく、研究者の側の読解力と類推力でたどり着いたものです。

>私もやりたい学びたいことがあり一見それにはあまり関係のない学科に入って「しまった」なと思っていた時期もありましたが…
→人生無駄はない! と思いますよ。失敗や回り道を含めて、必ず何らかの形で役に立ってきます。最後の最後は人としての総合力、底力、人間力ですから、幅を持つ経験は必ず活きてきます。

[69] 番組を見て感じたこと Name:伊藤瞳 MAIL Date:2018/01/06(土) 20:47 [ 返信 ]
 普段授業を、興味を持ちながらうけているからこそ、映像に飽きず、しがみついて44分間みることが出来た。正直ここまで、勉強のための映像を楽しく見ることが出来たのは初めてだった。
 最初に、番組冒頭で俊寛だけが取り残されてしまう場面を演じていた歌舞伎の映像が少し流れたが、私が授業の中で思い描いたイメージとほぼ合致していて、単純だが、嬉しくて仕方なかった。現代では、漫画やアニメが実写化された2.5次元ミュージカルといったものが流行である。紙の中でしか出会えなかった人物が立体化されてそこにいるように感じられるからだ。それと心理は同じように、自分が読んだ歴史小説が歌舞伎として再現されて、頭の中で描いていた人物が登場したら「やっと出会えた」という感覚で心踊るに違いない。文学作品の中の登場人物は、普通は遠くの言わばスターのような存在だからである。ほんのわずかの歌舞伎の映像だったが、言葉だけで理解していた遠くの歴史が、近いものに感じられて、現実だけどタイムスリップして俊寛を眺めているような気を味わえて嬉しかった。
 そして、本題の硫黄島での謎の解明。野中先生一行が硫黄島で謎を解き明かしていく様は、平家物語を授業で学んだ私にとっても見ごたえあるもので、一緒にぞくぞくしていた。いつも授業では、頭の中で想像して物語のストーリーを理解しているが、実際に俊寛らが生きたと言われる硫黄島を映像で視覚化されると、あっ!あのとき先生が言っていた場面だと、授業で理解した内容にさらに奥行きが生まれて楽しかった。『三国名称図会』で、潮の流れがひときわ強い屋久島と口之島の間という表現のところを改めて確認した時にも、「これやった!」と、授業で先生が話されたあの瞬間をすぐ思い出すことが出来、ビデオを見ながらも、中世文学の授業の学びの効果を感じることが出来た。
 そして何より映像で硫黄島を見ると、分厚い本の中でぎっしり文字化された『平家物語』の世界が、一挙にその島に重なって、俊寛、成経、康頼の三人が物語世界の人間ではなく、ほんとうにこの世に存在したリアルな人間として感じとることが出来た。このように、文字を追うだけでは見えなかったものが、実際に見てみることで、浮かび上がってくるかもしれない。そしてそのことはまた、目には見えないけれど、「たしかにここにいたんだ」と、その時代と今とを強く結び付けることが出来る可能性も秘めているから、とてもロマンチックで魅力的なことであると思った。私たち現代人は、どうしても史実を、「歴史の中のもの」として捉えてしまいがちで、どうしても、心のどこかでフィクション的なレッテルを勝手にあててしまう。だから、このビデオのように、実際に足を運んで「そこにあるもの」として視覚化することは、史実を現代に生きる自分たちに近いものとして感じられる良い機会だ。
 「浦々島々や都を眺められる場所・大きな岩が二つ。この二つのヒントと結びついた大谷(ウータン)。和歌山県の熊野三山の立地と、硫黄島で勧請されたという熊野三山の立地がほぼ同じ。那智の滝と同じ幅は全ての滝の中でも1割しかないのに、この硫黄島に存在した神秘。」このビデオの視聴の中で、延慶本平家物語に描かれた世界が、リアルな世界で一つ一つ解明されていくとともに、自分の平家物語への火がどんどん燃え上がっていくような気がした。野中先生が、この研究下、実際に足を運んで『平家物語』のノンフィクション性を発見してこられた過程で得たであろう、ないと思っていたものがあったときの衝撃や嬉しさ、感動、いろんな感情を想像すると、全てが羨ましくなる自分がいたのだ。正直文学研究を毛嫌いしていた自分だったが、研究に携わって新しい発見をし、野中先生が得たであろうものと同じ感情を味わいたい、野中先生みたいに、文学作品を子供のように愛せるようになる研究がしたいと思った。
 野中先生が『平家物語』にどれだけの信念があるのか、授業の時点でわかっているつもりだったが、このビデオを見てさらに感じ取ることが出来た。真実心理の領域に縄張りはない。ほんとうに何かを探求したければ、縄張り飛び越えることが大事。地方や離島に文化の厚みの豊かさがある。中央に偏らずに、周縁もちゃんと見てみなさい。というメッセージが、だからこそ、より説得力を持って、私の心に響いた。レッテルを張っていては新しい芽は生まれない。可能性を信じて、視野を広げながら、それを必死で探してみることで新しい発見が出来るのだ。今後3、4年生になって研究をするときの自分の教訓として心に留めたい。

[70] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/01/15(月) 00:27
>野中先生が、この研究下、実際に足を運んで『平家物語』のノンフィクション性を発見してこられた過程で得たであろう、ないと思っていたものがあったときの衝撃や嬉しさ、感動、いろんな感情を想像すると、全てが羨ましくなる自分がいたのだ。
→ありがとうございます。拙稿「薩摩硫黄島の稲村岳信仰―エビス信仰の源流―」(鹿児島国際大学国際文化学部論集 14巻2号、2013年9月)をお読みいただけると、もっとすごいですよ。記紀以前の日本の古代信仰の存在を解き明かしたのですから。手前味噌ですが(笑)。

>野中先生みたいに、文学作品を子供のように愛せるようになる研究がしたいと思った。
→わたくしは、学会発表でパワーポイントのスライドを送りながら、「子供じみた好奇心ですみませんね」と笑いながらお話しすることもあります。
でも、わたくしの研究の根底を支えているのは、緻密な「読み」なのです。

[67] 番組を観た感想 Name:三浦修平 Date:2017/12/01(金) 07:51 [ 返信 ]
私が番組を観て強く感じたことは、物事を考える際において様々な角度から見ることの重要性についてです。
硫黄島の文書についての検証においても様々な学問分野が絡んでいて、単一的なものの見方だけでは足りない部分が多いのだと感じました。これは今後の生活にも活かしていかなければいけない考え方であると考えます。

[68] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2017/12/11(月) 19:16
 番組最後のメッセージを受けとめてくださいましたね。ありがとうございます。
 脱領域、学際の必要性が叫ばれていますが、それを目的にするのではなく、真実を明らかにしようとすると結果的に学問領域(縄張り意識)が邪魔になる――そういう向き合い方をすべきだと思っております。
 大切なことは、「人間とは何ぞや」という問題意識ですね。

[65] 視聴してみて Name:池田陽香 Date:2017/11/15(水) 08:10 [ 返信 ]
 島に流された彼らには、正確に測量を行う術を持っておらす、それゆえに記述の距離と実際の距離に差がある、というのは面白かったです。それを調べるために実際に歩いてみる、という調査方法は、文学は本や文献とにらみ合いをして研究するものだ、という固定観念を打ち破るものだと思い印象深かったです。
 雨が降った後にのみ見られる滝の、周囲の地形はどうなっているのかと思いました。もし悪路で、三人が住んでいた所からも離れているのならば、三人がその滝を見つけたのはなぜなのかと疑問に思いました。(悪路であるなら、雨が降って更に歩きにくくなった所をわざわざ歩くことはしないのではないかと思ったからです。)
 あと、そもそもなのですが、卒塔婆を流した、という表現がありましたがその材料は何だったのでしょうか? 材料を自分で見つけてそれを切り出して流したのでしょうか。テクストの表現は島の立地や状況と似ている所が多いので、当時の状況をかなり忠実に描いたものだと思います。ですが卒塔婆も実際にやっていたと考えると、(更にそれが本土に流れ着くまで数を流したと考えると)とても労力のいる作業だったと思います。それは可能だったのかと疑問に思いました。
 テクストの何気ない描写が、数百年前の事実・状況を解き明かすものであり、その過程が推理小説や数学の証明の様でとても面白かったです。多くの根拠を集めるために、文学というジャンルのみから探すのでなく、幅広い分野から探しだす、という手法の重要性を痛感しました。

[66] RE:お返事申し上げます Name:野中哲照 Date:2017/11/25(土) 23:50
>雨が降った後にのみ見られる滝の、周囲の地形はどうなっているのかと思いました。もし悪路で、三人が住んでいた所からも離れているのならば、三人がその滝を見つけたのはなぜなのかと疑問に思いました。(悪路であるなら、雨が降って更に歩きにくくなった所をわざわざ歩くことはしないのではないかと思ったからです。)
→彼らが歩く道は、悪路ではありません。その道から、300メートルくらい離れた山の壁面に滝が見えるのです。どしゃ降りの日に斜面を水が流れ(滝が発生し)、それを離れたところから拝んだということになります。

>あと、そもそもなのですが、卒搭婆を流した、という表現がありましたがその材料は何だったのでしょうか? 材料を自分で見つけてそれを切り出して流したのでしょうか。
→通常の卒塔婆は1間(180センチ)ほどありますが、康頼は千本も流しました。そんな材料は硫黄島にはありません。ですので、延慶本『平家物語』では、1尺〜2尺(30〜60センチ)のミニ卒塔婆だったと書かれていますし、流木を利用したものであったのでしょう。康頼が卒塔婆を流したことは事実だったのかもしれませんが、それが千本に及んだとか、厳島神社に流れ着いたという部分は虚構だろうと考えられます。

>テクストの何気ない描写が、数百年前の事実・状況を解き明かすものであり、その過程が推理小説や数学の証明の様でとても面白かったです。多くの根拠を集めるために、文学というジャンルのみから探すのでなく、幅広い分野から探しだす、という手法の重要性を痛感しました。
→往々にして、領域を超えた発見のほうが面白く、意義深いものです。嬉しいご感想です。

ありがとうございました。

[64] 2017年後期の放送日程 Name:野中哲照 Date:2017/10/09(月) 14:13 [ 返信 ]
放送大学特別講義「薩摩硫黄島の熊野三山と『平家物語』」

【放送日時】
平成29年(2017)11月5日(日)21時30分〜22時15分
平成30年(2018)1月1日(月)6時00分〜6時45分
【チャンネル】
11月5日(日)は「もう一度みたい名講義」枠でのマルチ放送(複数の番組を同時に放送)。
関東地方…通常の1〜12のボタンではなく上・下に動かす矢印ボタンで地上波の122か123cn。
地方…BSの232か233cn。
録画…録画設定の画面でリモコンの緑ボタン→放送大学の第2、第3の番組が表示される→硫黄島番組を選択し録画。
1月1日の回は通常どおりのチャンネル。

[63] 2017年前期の放送日程 Name:野中哲照 Date:2017/04/29(土) 08:25 [ 返信 ]
放送大学特別講義
「薩摩硫黄島の熊野三山と『平家物語』」

【放送日時】
平成29年(2017)9月30日(土)
 23時15分〜24時00分
【チャンネル】 
首都圏では12cn(他はBS放送大学チャンネル231cn)

[49] 感動! Name:永田 睦 Date:2017/01/24(火) 22:07 [ 返信 ]
 昨夏、たまたまチャンネルを入れ(普段見る習慣のない)放送大学の野中先生の講義を、感動とともに聴講しました。他領域にも通用する、また様々な示唆を与える、すばらしい講義内容だと思います。
 ただ、その直後、三島村役場に電話で問い合わせをしましたが、この件に関する有益な情報を何ら教えていただけませんでした。同時に、このような素晴らしい講義と番組が、世に知られていないことを残念に思いました。
 先日1/15、偶然にもテレビでの再再放送を再見でき、大変嬉しく思います。次回、2/18日放送分は、録画しようと、今から楽しみにしています。
 また、硫黄島へも、ここ1〜2年のうちに、是非、訪れてみたいと思います。


[50] RE:ありがとうございます! Name:野中哲照 Date:2017/01/26(木) 01:03
お返事申し上げます。

>他領域にも通用する、また様々な示唆を与える、すばらしい講義内容だと思います。

→自説を立てることだけを目的とするのでなく、文学・歴史学・考古学・民俗学・宗教学等を横断して巨視的な見地から人文学を解体再構築しなければと思っております。わたくしの意図するところをお汲み取りくださり、嬉しいかぎりです。

>ただ、その直後、三島村役場に電話で問い合わせをしましたが、この件に関する有益な情報を何ら教えていただけませんでした。

→昨年11月に観光協会ができたばかりで、軌道に乗るのはこれからです。硫黄島の人々も三島村役場の方々も、一人何役もこなしてお仕事をされています。長い目で温かくお見守りください。また、この場でご質問いただければ、わたくしがお答えします。

>また、硫黄島へも、ここ1〜2年のうちに、是非、訪れてみたいと思います。

→これまでに硫黄島の大願成就ツアーを2回実施しています。そろそろ3回目を企画する時期かなと思っております。その際には、このページでもご紹介申し上げます。


[62] 感動ついでに Name:永田 睦 Date:2017/03/13(月) 17:59
 本講義を拝聴させていただき、誠に有難うございます。
 本講義は、史学には門外漢の私にも、熊野信仰にまつわる感動秘話が伝わってくる、本当に素晴らしい講義だと思います。できるだけ多くの方に、この講義を見ていただきたいと願っています。
 まず、番組としても秀逸で、構成も素晴らしくバランスがとれ、かつ説得力あり、わかりやすく、惹きつけられる内容となっています。そして何よりも、野中先生の素晴らしい知性と感性、さらに綿密に文献を発掘・考証される姿勢、独自の理論を探求され、またそれを極めておられることに、ただただ、頭が下がる思いです。
 語られている内容からして、一朝一夕に到達出来る境地とは到底思われず、野中先生の思いがそこに至られるまでの、長い年月と大変な考証と錯誤の道のりは、推測しても有り余るものがあり、拝見していて、ただただ感動の極みです。
 さらに、内容の素晴らしさもさることながら、特筆すべきは、これが単に史学に関する話としてでなく、あらゆる分野にも通じるものであり、聴くものに勇気と感動を与える内容であることです。
 野中先生が講義の最後にお話しされた考察は、重要な人生訓にも匹敵するものと深く心に響くものがあり、私も様々な意味から、大いに勇気づけられました。
 今回、再び先生の素晴らしい講義を聴講出来、自らの幸運を感じます。次回の講義も、楽しみにしており、また録画してまたしっかりと繰り返し聴講したいと思います。感謝・感謝です。

[54] 拝聴しました。 Name:kansuke MAIL HOME Date:2017/02/03(金) 19:31 [ 返信 ]
15日放送大学の講義を、大変面白く拝聴いたしました。
日頃、中世史や中世の信仰世界に関心を持つ者です。
寓居近く(多摩丘陵)にも、小河川に沿ったところに熊野社(本宮)がありますが、新宮、那智社の伝承地もあり、
興味深く感じた次第です。硫黄島のような例は各地に多いのではないでしょうか。中世人の「吉例」を重んじて「見立て」や「踏襲」を行う思想の表れかと想いました。

[55] RE:ありがとうございます。 Name:野中哲照 Date:2017/02/08(水) 21:45
>寓居近く(多摩丘陵)にも、小河川に沿ったところに熊野社(本宮)がありますが、新宮、那智社の伝承地もあり、興味深く感じた次第です。

→何市のどこでしょう? ご教示くださるとありがたいです。

>硫黄島のような例は各地に多いのではないでしょうか。

→有名なのは宮城県名取市の名取熊野三山です。でも目立った滝はありません。四国中央市の熊野社も川の屈曲にあります。福島県喜多方市の熊野神社も、古くは三山揃っていた可能性があります。でも、海あり、川の屈曲あり、滝ありと揃っているのは、硫黄島以外にはまだ存じません。

[56] RE:拝聴しました。 Name:kansuke MAIL HOME Date:2017/02/10(金) 20:19
多摩川支流の大栗川(おおくりかわ=関戸より本流から別れる)を上った東中野(八王子市)の鎮守社(本宮)です。現在は三社が相殿で合祀されていますが、明治期以前は、東へ川をやや下った山裾に「新宮」と「那智社」が祀られていたそうです(新編武蔵風土記稿)現在、伝承地には「三社」と呼ばれる小祠と「薬師堂」が残っています。昭和の河川改修以前は、この付近で大栗川は大きく屈曲しており、その突き出したところから、本宮へ参道が伸びていました。今もその名残りを辿ることが出来ます。多摩川水系には、品川津に始まり、熊野社が目立つような気がします。

[58] RE:ご教示ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2017/02/21(火) 21:19
改修前の大栗川の川筋を復元してみて、〈川の屈曲の内側〉という熊野的特徴から、本来の位置を推定してみました(図参照)。ただし現在の位置も山裾にありますので、古墳時代以前からの聖地だと思います。川の氾濫で熊野社が荒廃したあとに、現在地に合祀されたかと思います。
下流の大塚八幡・最照寺のある微高地も、古代からの聖地の特徴を示しています。
たいへん勉強になりました。ありがとうございます。「三社」「薬師堂」もこの地図の範囲内でしょうか?


[59] 魅力的です。 Name:kansuke HOME Date:2017/02/26(日) 10:46
ご指摘の説に、ともて惹かれました。
かつて大栗川は、大変な暴れ川だったそうです。
地元の故事に詳しい方に伺いましたら、
「新宮」はやや東に下った山裾の斜面上に鎮座する「薬師堂」(現在は「天野薬師」と呼ばれます」でほぼ間違いないなく「那智社」はその斜面下に跡を示す小碑があると言われました。近く現地で確かめてみようかと思います。大栗川の旧河道の痕跡も僅かに残っており「屈曲部」の跡も確かめられるかもしれません。地図でも読み取れるように「参道」も「屈曲部」から、真直ぐ伸びて居り、辿ることが出来ます。

[60] 貴重なご教示ありがとうございます! Name:野中哲照 Date:2017/03/04(土) 00:57
新宮に相当する天野薬師の位置のご教示ありがとうございます。その情報がウェブにありますね。
http://www.mikumano.net/ztokyo/8oji22.html
右図のようにこの谷は東へ行くほど幅が広くなります(黄色の矢印A、それよりB、それよりCが広い)。さらに東に行くと再び狭まりますが、それは隣の大塚村です。ここでは中野村(八王子市東中野)の人々が勧請した領域意識における熊野三山と考えればよいでしょう。すると、黄色矢印Cのあたりは谷の幅が広く、海に見立てられたように見えます。そこに新宮が位置しているので、ご本家和歌山の熊野新宮と相似形を成しています。バッチリというわけです。
次に那智の位置ですが、「那智社」の痕跡を示す小碑が現在は天野薬師の裾にあるとしても、それは移転してそこにきた可能性を疑う必要があります(われわれの経験上、たいていそうです。新宮と那智が近すぎるからです)。ご本家の熊野三山に似た地形を探して勧請する意識ならば、やはり滝のあるところを那智と定めたのでしょう(大雨の時しか見られない滝であったとしても)。大栗川の谷筋は熊野神社側も、対岸の善徳寺・芳心院側も緩斜面で、滝状の水流が発生しそうにありません。唯一の候補は、天野薬師の北東側の、ファミーユ堰場、たかはしビルのあるほうの斜面です(右図をクリックすると拡大できます)。とくに地図中に「那智?」と書きこんだ地点は、(1)もと急崖であったとみられる点(急崖は等高線を引くことができないので線が断絶するという特徴がある)、(2)中央大学体育館の直下からの沢筋がある(水量を集めて滝になるのでV字地形が必要)の2条件をそなえています。
(長文になりますので次項で補足します。)


[61] 熊野三山の見つけ方 Name:野中哲照 Date:2017/03/04(土) 01:21
ここで、熊野三山の見つけ方について整理しておきましょう。
(1)本宮は川の屈曲の内側にある。
(2)新宮は海のそば、河川の河口付近か、そのように見立てられそうなところにある。
(3)本宮と新宮は一本の川の上流(本宮)と下流(新宮)の関係にある。
(4)那智は本宮・新宮との位置関係というより、それらの近辺で大雨の時にでも滝ができそうなところにある。

注意点があります。
熊野神社の移転を想定しましたように、新宮についても元は大栗川近くの常盤公園(右の写真、googleストリートビューによる)が微高地(島状の地形)になっておりその上段にあったかもしれないのです〔常盤公園は上下二段になっており、意味もなく一方に盛り土をしたとも、また掘り下げたとも考えにくく(しいていえば現状の下段は遊水池的利用)、もとから高低差があったと考えられます〕。つまり、島状の常盤公園・上段にあった新宮が流されて天野薬師の位置に移転ないしは合祀された可能性を疑う必要があります。『新編武蔵国風土記稿』など近世の地誌を絶対視せず、古代人の心情を想定し、地形の特徴を読み解くのが大切です。つまり、古代→中世→近世と重層化したり変容したりしていることを想定しながら、柔軟に見抜いてゆく必要があります。
kansuke様、現地の巡検をされる機会がありましたら、那智の滝の位置の特定、元の新宮の位置の推定までチャレンジしてみてはいかがでしょう。
この掲示板が、全国の熊野三山探しの報告会になるのも楽しいなと思っております。まずは、kansuke様が中野村熊野三山を発見されますと、その第一号になられますね(喜んでアドバイスさせていただきます)。



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