大願成就の島 硫黄島熊野三山


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[89] 特別講義視聴報告 Name:小倉康紀 MAIL Date:2018/05/07(月) 21:34 [ 返信 ]
フィクションと考えられてきたことが多分野の文献渉猟とフィールドワークにより史実として提示されたことがわかりました。
歩数計算、俊寛堂から本宮までの地形が川の屈曲で共通すること、那智の滝の特定で資料により直曝が1割と確認されたことなど、手法が印象に残ります。
延慶本は原著作者が帰り着いた2名への取材をしそれを経て成立したのか、熊野社の勧請は那智の滝を発見した後で想到されたと考えられないか、など想像しました。
「勧請」の語について、熊野社の承諾と協力が得られたのか、「滝を勧請」とは、についてよくわかりませんでした。

[90] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/05/13(日) 12:21
疑問点にお答えします。

>延慶本は原著作者が帰り着いた2名への取材をしそれを経て成立したのか
→成経は建仁2年(1202年)までの生存が確認されますので、成経や康頼が都で語ったことが情報源になっているのでしょう。

>熊野社の勧請は那智の滝を発見した後で想到されたと考えられないか
→三山揃わなければ意味がないとすれば、おっしゃるとおりでしょう。

>「勧請」の語について、熊野社の承諾と協力が得られたのか、「滝を勧請」とは、についてよくわかりませんでした。
→正式な勧請と違って、彼らが勝手に「見立てた」「なぞらえた」ということでしょう。川の屈曲地点に石を積んで「本宮」と言い、滝が見える場所に拾った小枝で鳥居を作って「那智の滝」遥拝所と呼んだようなイメージです。誰かの許可を必要とするようなものではありません。


  



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