大願成就の島 硫黄島熊野三山


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[87] 番組を視聴して Name:田村つかさ Date:2018/04/30(月) 19:46 [ 返信 ]
私はこれまで『平家物語』について深くまで触れたことがなく、理解出来るか不安だったのですが冒頭で『平家物語』や硫黄島の記述がある場面について詳しく説明していただけたのですんなりと内容に入ることが出来ました。番組全体として「なるほど…」と何度も頷きながら聞き入ってしまいました。特に、立地条件から読み解いていく部分では思わず声を上げてしまいました。文学は机上だけでなくだけでなく実際に行ってみることも大事なのだと分かりました。番組を見ていくなかでいくつか疑問に思うことがありました。潮の流れを確定するために何人の人が犠牲になったのか、「ウータン」という名前は誰が付けたのか、岩ばかりの場所でどうやって住んでいたのか、という点です。また、稲村岳から歩いて測ったとはいえ今と昔では歩幅が一緒なのかどうか、どうやって分かるのだろうと思いました。これを機に『平家物語』を読んでみようと思います。また今後の文学研究において型にはまらず様々な観点から研究しようと思いました。

[88] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/05/05(土) 22:02
疑問点についてお答えします。

>潮の流れを確定するために何人の人が犠牲になったのか
→『三国名勝図会』に記されている、潮の道のことですね。先祖から子孫へと「あそこは危ない」などと伝承されていったのでしょうが、無数の人が犠牲になったのでしょう。

>「ウータン」という名前は誰が付けたのか
→漢字で書くと「大谷」。現地の読み癖で「ウータン」。京都の「大谷」を想起しますね(現在は五条東山の大谷本廟が有名ですが平安期の大谷は知恩院のあたり)。私も、京都から流された人(康頼など)が付けた地名ではないかと思ったりします(それを裏づける証拠がありません)。田村さんもそう思われたのでしょう。ここに着眼されるとは、いいセンスです。

>岩ばかりの場所でどうやって住んでいたのか
→実際には海岸に住めるはずもなく、大谷の沢筋に住んだのだと思います。硫黄島北部でもっとも大きな沢で、よそに比べて水を得やすく、風よけもでき、沢の側壁(土質)に横穴を掘れば雨もしのげます。巨石の並ぶ海岸のすぐ近くです。いいご質問です。

>稲村岳から歩いて測ったとはいえ今と昔では歩幅が一緒なのかどうか
→昔の人は身長が低かったと思っている人が多いのですが、それは近世の人で、それ以前はそうでもなかったとされています。平安末期の藤原清衡159cm、基衡167cm、秀衡164cmです(ミイラが現存していて判明)。私の調査では、自分の歩幅が上りで48cm、平地で50cm、下りで52cmであることを確認し、平均50cmとして稲村岳〜大谷の距離を算出しました。当時の人の身長が現代人と比べて1割低かったとしても、「五十余丁」という距離はやはり符合するのです(「余丁」があるので誤差を吸収する)。


  



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