大願成就の島 硫黄島熊野三山


[ HOME掲示板TOP一覧表示ツリー表示トピック表示新規投稿記事検索記事修正・削除携帯用URL管理用 ]


[81] 薩摩硫黄島の熊野三山と「平家物語」を観て Name:西野晃平(野中が代理投稿) Date:2018/03/17(土) 00:22 [ 返信 ]
 三つの謎、@三人が流されたのは、この硫黄島なのか。A三人はこの硫黄島のどこに住んでいたのか。B和歌山の熊野から硫黄島に、本宮・新宮・那智の滝を勧請したのは本当なのか。を解き明かしていくプロセスが面白かった。
 特に面白かったのは、三つ目の謎を解きあかす時だ。本宮の位置関係は一つ目の謎を解く際に明らかになっていたが、新宮と那智の滝がどこに勧請されているのかを発見するのに野中先生はとても苦労されていた。熊野本宮大社と熊野速玉神社(新宮)との位置関係と俊寛堂と熊野神社(新宮)の位置関係がピタリと一致し、俊寛堂が昭和八年(1933年)の硫黄島要覧で「御祈大明神社」と書かれていたことから新宮が実際に勧請されていたとわかった時には思わず「おおっ」と声が出てしまった。
那智の滝が勧請されていたということが最後まで断定できないでいたが島の方に聞くと一発でわかったということも実地調査の真骨頂を見たという思いになった。
 従来の文学研究は研究対象の本とそれに関する文学の資料を突き合わせて研究していくというスタイルが一般的だと考えていたが、今回の野中先生の調査の様子を番組で見させていただき「三国名勝図会」のような時代の枠組みを越えた資料を使うことや海流図といった理系の分野で使われる資料を使うこと、実際に現地に入り実地調査を行うことといった、従来の文学研究の方法に囚われない領域を飛び越えた手法に驚きと面白さを感じた。ぜひ自分の研究の際にも使用してみたいと思う。

[82] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/03/21(水) 23:22
>熊野本宮大社と熊野速玉神社(新宮)との位置関係と俊寛堂と熊野神社(新宮)の位置関係がピタリと一致し、俊寛堂が昭和八年(1933年)の硫黄島要覧で「御祈大明神社」と書かれていたことから新宮が実際に勧請されていたとわかった時には思わず「おおっ」と声が出てしまった。

→番組のツボをご理解いただけて、嬉しいかぎりです。

>「三国名勝図会」のような時代の枠組みを越えた資料を使うことや海流図といった理系の分野で使われる資料を使うこと、実際に現地に入り実地調査を行うことといった、従来の文学研究の方法に囚われない領域を飛び越えた手法に驚きと面白さを感じた。ぜひ自分の研究の際にも使用してみたいと思う。

→おっしゃるとおり江戸期の資料を『平家物語』の解釈に使うなど、ふつうは考えられないことです。でも、江戸期の資料と現代の海流図(黒潮)から、同じような境界意識、心理的断絶感を析出しうることを根拠にして(つまりは普遍化することによって)、『平家物語』の深い読みが可能になったのです。資料と資料とをダイレクトに突き合わせる研究は、もはや限界だと言ってよいでしょう。いいところを突いてくださり、ありがとうございます。


  



無料レンタル掲示板 1616BBS