大願成就の島 硫黄島熊野三山


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[75] 領域横断的な研究の可能性 Name:阿久津大夢(野中が代理投稿) Date:2018/02/20(火) 08:04 [ 返信 ]
 俊寛・平康頼・藤原成経が硫黄島で、熊野三山をなるべく類似の地形で勧請したということや、三名が硫黄島の北の大谷(ウータン)というところに居住し、特に落胆した俊寛が休んだり、九州や京都を思慕したりしていた岩場の存在などが、『平家物語』の古態本に書かれているのは、先生の現地での実証的な研究で史実性の強い内容であることがわかった。古代日本人の日本という国の最果てにある硫黄島に流された三名の生活の様子などでさえも、ここまでの詳しく記述され、しかもそれが事実性の強いものだとすれば、平家物語は原初の成立段階では、必ずしも虚構や想像を前提にせず。一部は史実的な物語も『平家物語』にはあるのだということが窺えた。秘境の島での三名の生活を事実として書くことができる人間は当時であってもそれほど多くないだろう。つまり『平家物語』のこの章段の成立には、この三名に近しいあるいは、この三名の硫黄島での生活を見聞きした人物が関与していることが想像される。つまり、一つ一つの『平家物語』の史実性を実証することによっても、『平家物語』の作者圏や作品の成立過程が特定できるのではないか。それはもちろん簡単なことではないが、『平家物語』の史実性の確認が新たな研究の可能性になっていることを感じた。そのために研究者自身が、現地に出向き、いわゆる「本文の読み」的な研究以外にも、宗教学や地理学、歴史学などの知見をできる限り使って、調査することが求められることが再確認できた。
 現代人は科学を駆使して一年中どこでも同じ生産性で、生活を営むことができるようになった。しかし科学成立以前の人間の営みは、例えば地理的な条件や気候などに大きく左右されながら生きていたであろう。そうした生活のなかで古典文学も生まれている。古典文学の成立には、当時の人間の生活や思考が関わっているのは当然であるから、古典文学の理解には、領域横断的な研究によるそれらの理解は避けては通れない。現地調査や文学以外の研究知見を用いるのは、古典文学の本質的な理解には不可欠であろう。

[76] RE:ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2018/02/26(月) 11:33
>『平家物語』のこの章段の成立には、この三名に近しいあるいは、この三名の硫黄島での生活を見聞きした人物が関与していることが想像される。つまり、一つ一つの『平家物語』の史実性を実証することによっても、『平家物語』の作者圏や作品の成立過程が特定できるのではないか。

→ここ半世紀の研究の流れは、実体を解明することを断念し(永遠の謎として遠ざけて)、テクストの「読み」に傾斜していく傾向にあります。しかし、現実に『平家物語』は存在し、そこに一定の事実が含まれているのは間違いありません。ご指摘のように、どこかの誰かが物語の発生に関与したことも否定のしようがありません。実体を想定することも、テクストの「読み」も、両方大切だと思います。「作者圏」などという言葉は研究史の上では古めかしい用語なのですが、しかし我々が忘れていた大切なことを思い出させてくれ、新鮮に感じました。ありがとうございます。


  



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