大願成就の島 硫黄島熊野三山


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[54] 拝聴しました。 Name:kansuke MAIL HOME Date:2017/02/03(金) 19:31 [ 返信 ]
15日放送大学の講義を、大変面白く拝聴いたしました。
日頃、中世史や中世の信仰世界に関心を持つ者です。
寓居近く(多摩丘陵)にも、小河川に沿ったところに熊野社(本宮)がありますが、新宮、那智社の伝承地もあり、
興味深く感じた次第です。硫黄島のような例は各地に多いのではないでしょうか。中世人の「吉例」を重んじて「見立て」や「踏襲」を行う思想の表れかと想いました。

[55] RE:ありがとうございます。 Name:野中哲照 Date:2017/02/08(水) 21:45
>寓居近く(多摩丘陵)にも、小河川に沿ったところに熊野社(本宮)がありますが、新宮、那智社の伝承地もあり、興味深く感じた次第です。

→何市のどこでしょう? ご教示くださるとありがたいです。

>硫黄島のような例は各地に多いのではないでしょうか。

→有名なのは宮城県名取市の名取熊野三山です。でも目立った滝はありません。四国中央市の熊野社も川の屈曲にあります。福島県喜多方市の熊野神社も、古くは三山揃っていた可能性があります。でも、海あり、川の屈曲あり、滝ありと揃っているのは、硫黄島以外にはまだ存じません。

[56] RE:拝聴しました。 Name:kansuke MAIL HOME Date:2017/02/10(金) 20:19
多摩川支流の大栗川(おおくりかわ=関戸より本流から別れる)を上った東中野(八王子市)の鎮守社(本宮)です。現在は三社が相殿で合祀されていますが、明治期以前は、東へ川をやや下った山裾に「新宮」と「那智社」が祀られていたそうです(新編武蔵風土記稿)現在、伝承地には「三社」と呼ばれる小祠と「薬師堂」が残っています。昭和の河川改修以前は、この付近で大栗川は大きく屈曲しており、その突き出したところから、本宮へ参道が伸びていました。今もその名残りを辿ることが出来ます。多摩川水系には、品川津に始まり、熊野社が目立つような気がします。

[58] RE:ご教示ありがとうございます Name:野中哲照 Date:2017/02/21(火) 21:19
改修前の大栗川の川筋を復元してみて、〈川の屈曲の内側〉という熊野的特徴から、本来の位置を推定してみました(図参照)。ただし現在の位置も山裾にありますので、古墳時代以前からの聖地だと思います。川の氾濫で熊野社が荒廃したあとに、現在地に合祀されたかと思います。
下流の大塚八幡・最照寺のある微高地も、古代からの聖地の特徴を示しています。
たいへん勉強になりました。ありがとうございます。「三社」「薬師堂」もこの地図の範囲内でしょうか?


[59] 魅力的です。 Name:kansuke HOME Date:2017/02/26(日) 10:46
ご指摘の説に、ともて惹かれました。
かつて大栗川は、大変な暴れ川だったそうです。
地元の故事に詳しい方に伺いましたら、
「新宮」はやや東に下った山裾の斜面上に鎮座する「薬師堂」(現在は「天野薬師」と呼ばれます」でほぼ間違いないなく「那智社」はその斜面下に跡を示す小碑があると言われました。近く現地で確かめてみようかと思います。大栗川の旧河道の痕跡も僅かに残っており「屈曲部」の跡も確かめられるかもしれません。地図でも読み取れるように「参道」も「屈曲部」から、真直ぐ伸びて居り、辿ることが出来ます。

[60] 貴重なご教示ありがとうございます! Name:野中哲照 Date:2017/03/04(土) 00:57
新宮に相当する天野薬師の位置のご教示ありがとうございます。その情報がウェブにありますね。
http://www.mikumano.net/ztokyo/8oji22.html
右図のようにこの谷は東へ行くほど幅が広くなります(黄色の矢印A、それよりB、それよりCが広い)。さらに東に行くと再び狭まりますが、それは隣の大塚村です。ここでは中野村(八王子市東中野)の人々が勧請した領域意識における熊野三山と考えればよいでしょう。すると、黄色矢印Cのあたりは谷の幅が広く、海に見立てられたように見えます。そこに新宮が位置しているので、ご本家和歌山の熊野新宮と相似形を成しています。バッチリというわけです。
次に那智の位置ですが、「那智社」の痕跡を示す小碑が現在は天野薬師の裾にあるとしても、それは移転してそこにきた可能性を疑う必要があります(われわれの経験上、たいていそうです。新宮と那智が近すぎるからです)。ご本家の熊野三山に似た地形を探して勧請する意識ならば、やはり滝のあるところを那智と定めたのでしょう(大雨の時しか見られない滝であったとしても)。大栗川の谷筋は熊野神社側も、対岸の善徳寺・芳心院側も緩斜面で、滝状の水流が発生しそうにありません。唯一の候補は、天野薬師の北東側の、ファミーユ堰場、たかはしビルのあるほうの斜面です(右図をクリックすると拡大できます)。とくに地図中に「那智?」と書きこんだ地点は、(1)もと急崖であったとみられる点(急崖は等高線を引くことができないので線が断絶するという特徴がある)、(2)中央大学体育館の直下からの沢筋がある(水量を集めて滝になるのでV字地形が必要)の2条件をそなえています。
(長文になりますので次項で補足します。)


[61] 熊野三山の見つけ方 Name:野中哲照 Date:2017/03/04(土) 01:21
ここで、熊野三山の見つけ方について整理しておきましょう。
(1)本宮は川の屈曲の内側にある。
(2)新宮は海のそば、河川の河口付近か、そのように見立てられそうなところにある。
(3)本宮と新宮は一本の川の上流(本宮)と下流(新宮)の関係にある。
(4)那智は本宮・新宮との位置関係というより、それらの近辺で大雨の時にでも滝ができそうなところにある。

注意点があります。
熊野神社の移転を想定しましたように、新宮についても元は大栗川近くの常盤公園(右の写真、googleストリートビューによる)が微高地(島状の地形)になっておりその上段にあったかもしれないのです〔常盤公園は上下二段になっており、意味もなく一方に盛り土をしたとも、また掘り下げたとも考えにくく(しいていえば現状の下段は遊水池的利用)、もとから高低差があったと考えられます〕。つまり、島状の常盤公園・上段にあった新宮が流されて天野薬師の位置に移転ないしは合祀された可能性を疑う必要があります。『新編武蔵国風土記稿』など近世の地誌を絶対視せず、古代人の心情を想定し、地形の特徴を読み解くのが大切です。つまり、古代→中世→近世と重層化したり変容したりしていることを想定しながら、柔軟に見抜いてゆく必要があります。
kansuke様、現地の巡検をされる機会がありましたら、那智の滝の位置の特定、元の新宮の位置の推定までチャレンジしてみてはいかがでしょう。
この掲示板が、全国の熊野三山探しの報告会になるのも楽しいなと思っております。まずは、kansuke様が中野村熊野三山を発見されますと、その第一号になられますね(喜んでアドバイスさせていただきます)。



  



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